君と手をつないだあの日の、誓い。




    今までも、この時も、きっと―。












    つないだ手


















    いつだったか。




    「きれいな…夕焼けですね」




    夏の夕暮れ。

       
    二人並んで歩いた帰り道。




    暮れてく西の空を見ながら、君がそんなことを呟いたんだっけ。


    そうだねぇ、なんて俺も返事を返して、茜色に染まる空に目をやったんだ。






    あれは確か、まだと付き合う前のことで。



    俺が一方的に彼女に惚れ込んで、でもそれを表に出す程俺も単純じゃなかった。


    何気ない態度の傍ら、たまにそんな素振りを見せつつ、俺は独り善がりに浸っていた時期だ。


    それまで、あれ程感情を持て余すことのなかった俺には、そんな想いさえ温かく愛おしく思えていたんだ。






    「やっぱり夏なんだねぇ…どーにも暑い…」


    「………じゃあ、そのマスク外したらどうなんですか?」


     
    明後日の方に顔を向けて手持ちぶさたな片手で首もとを煽れば、がこっちを見た。

    随分と顔の辺りを凝視してたかと思えば、クスと笑ってそんな冗談を口にした。



    こんな一時が、ホントに心地よくて。


    好きだった。



    俺はフッと笑って彼女に笑顔を向けた。

    そうしてまた正面に向き直って歩き出す。

    散歩がてらの遠回りする帰り道。







    夏ってのは、まぁ…暑い。

      
    けれど俺くらいになると、意識しなければどうにでもなるってこともあるから。

    たまに、気温や体温の感覚が薄れてゆく。




    「……―先輩」


    「…ん?」



    「先輩は夏、好きですか…?」


    「んー、夏ねぇ……」




    は俺とは視線を合わさずに言った。
     

    元々俺に好きな季節なんてなかった。

    もっとも季節に対する概念なんて事務的な認識しかなく、そんなものに想いを馳せる生活とは無縁だったと言っても良い。

    あえて言うなら、任務遂行しやすい春や秋、そんなものかと答えをまとめようとしていたとき。




    「この匂い、夏の匂いって…ありますよね…」

       
    「………?」
      


    どうやらは無理に答えを求めようとしている訳ではなく、自分の考えの進むままそれを口にしているようだった。


    ただでさえ鼻の利く俺だけど、ワザとスゥッと空気を吸い込んでみる。



    「…やだ先輩、そんな可笑しい」


    「あ、可笑しかった…?」


     
    そんな意味じゃないですよ、とが笑った。

    俺としてはちょっと彼女を笑わせてみたかっただけ。





    の言いたいことは分かっていた。



    夏ってのは、表向き勢いがあって動き回るようなイメージがあるけれども。


    ある意味、陰を慕えた季節。




    同じ季節の中でも変わる蝉の声。

    誰もいない通り道に立ち上る陽炎。




    これだけだって、敏感な人間なら人情の機微に触れるはず。

    忍がそんなこと言うなんて笑われるかもしれないが、案外安穏とした生活を送ってるヤツよりも忍の方が鋭かったりする。




    夏はほとんどの家が窓を開け放っているから、道を歩いているとその家独特の匂いが漂ってくる。

    自分とは何ら関わりのない匂いだとは分かっているけれど、何処か懐かしさを従えたそれ。



    生暖かい風がゆっくりと俺達の方へと吹いてくる。

    そんな風に吹かれて、自然と意識も遠のいていくような錯覚に陥る。



    懐かしさとは、時に心に温かみをもたらしてくれるけれども。

      

    それよりも一層、忘れていた寂しさや悲しさが湧き上がって。


    この世界に一人取り残されたような、そんな悄愴―。



          
    ここまで大げさでなくとも、これらがもの寂しさとなって押し寄せてくるのだ。



      
    誰かに傍にいてもらいたい。



    近くにいる人の、ヒトの温もりを感じたい。




    ある種の衝動と言っても過言じゃないと、俺は思う。

    意思を持つ生き物が生まれた遙か昔から、それは普遍的に人の心にあるんじゃなかろうかと。




    多分、今はそれに浸っているんじゃないかと思った。


    ただでさえ、彼女の両親は真夏に他界していたのだから。
        

    彼女の、空を見つめる瞳は熱を失って何処までも遠かった。


    それでも俺の隣をとぼとぼと歩いて。 どちらかと言うとその時は俺が彼女の足並みに揃えていた。




    俺だってそんな彼女の気持ちが理解できないほど、疎いつもりはない。



    僅かに歩調がずれたとき、の右手と俺の左手が一瞬触れた。

    それまで考え事に耽っていたは驚いたようにその手を少し震わせたのを俺は見逃さなかった。


       
    あー、もう…!


    俺は右手でガシガシと後頭部を掻いた。

      



    「ー。 …俺、夏…好きだよ」


    「…………」



    に背を向けたまま告げた。

    多分、今こっちを見たと思うけど。



    「だって好きでしょ…?」


    「……好き、ですけど」


       
    「好きだけど、でも嫌いなんでしょ…?」

     
    「……そうです」


    「俺も、同じだよ…」
      

    立ち止まって、彼女の方を向いて苦笑混じりに言って見せた。

    も俺が突発的に思ったことを口にしているんじゃないと分かったらしく、俺の目をじっと見つめていた。



    「……何でも分かっちゃうんですね、先輩は」


    「のことなら尚更ね〜」


    「……何ですかそれは」


    「…ん〜? 何でもない」



    郷愁に浸るは今日は何処か自嘲的で。

    そういう気分に浸るのも悪くはないと思うけれど、そんな彼女を傍らで見ているのは辛くて。


    笑顔の似合うにはいつだって少しでも笑っていてほしいから。


    どうでも良いことを面白可笑しく言ってみては二人静かに笑い声を上げた。







    それからしばらくして、もう少しすれば俺達が別れる十字路が見える辺りに差しかかったとき。


    俺はの数歩前を歩いていた。  
     


    一瞬、ザッと地面を蹴る音がして。

    の気配が風のようにして俺の背中へと吹いてきた。


    その瞬間俺は何だか良く分からなかったのだけど。




    手甲越しに伝わったの俺の手を握った感触。

    しっかりと、でも力無く震えるその手。




    「……?」


    俺は振り返って彼女を見た。

    は俯いて、顔に掛かっていた髪の隙間から唇を強く噛みしめているのが見えた。

       

    「………どうした、」


    「…先輩、私…っ!」





    ああ、そうか―。



    どうしてもいたたまれなくなって。


    を腕の中に引き込んだ。


       





    どれだけ彼女は孤独な日常を絶えず過ごして。


    誰かに傍にいてもらいたいときすら、一人静かに涙を流してきたのか。



    今日のこの気候が、彼女の悲しい記憶を呼び起こしてしまったんだ。   




    そんな想いをもうにはさせたくない。


    涙だって、後一しずくでさえも落とさせたくはない。






    「、大丈夫。 俺はここにいるよ」



    腕の中で静かに涙をこぼすの髪をなでながら、そう言い聞かせた。




    「…何処にも行きゃしないからさ」





    つないだ手に、そのとき誓った。



     


       








    君と手をつないだあの日の、誓い。  



    今までも、この時も、きっとずっとこれからも続いてゆくから。





    だからどうか、もうあんな涙は二度と流さないでちょーだいよ。





























    「陽炎」って辞書を引いたら季語としては春なんですって。
    夏のお話に使っても良いのかちょっと迷ったんですけどね…。
    結局訳の分からない話になってしまって。
    でもこれは数日前の自分の気持ちを書いてみたやつなんですよ(苦笑)