百万本の薔薇と、名もなき路傍の花。
あなたなら、どちらを選ぶだろう。
私は名もなき花を、この手に取りたいのだけれど―…。
名もなき花のその先に
「ー、…入るよー!」
「……んー」
玄関の方でドアの開く音がしたと思えば、そんな声が聞こえた。
年がら年中鍵も掛けずにいることを知って、わざわざ入ってくるのは、空き巣かアイツくらいなものだ。
これをもう何度繰り返したことだろうか。
あまりにそれは日々の生活に馴染みすぎていて、既に日常と化している。
精々、あぁ…また来たか、と思うくらいなもので。
「相変わらずだねぇ…」
「それはどうも」
部屋の入り口までやって来た訪問者。
こちらは窓際の椅子に腰掛け、外を眺め続けたまま言葉を返す。
すると、多分向こうは苦笑いでもしたんだろう。
二人しかいない静かな部屋に、微かに息の零れる音がした。
「ホント物好きね〜、また来たんだ…?」
「……まぁね」
そんな俺を家に上げる君も物好きでしょ、と隣までやって来たのは訪問者であるカカシ。
そして同時に彼の腕の中でカシャと紙の折れるような音がした。
「 はい、お詫び 」
「…………」
差し出されたのは、花束―。
どこかで摘んできたのだろうか。
几帳面にラッピングしてあるが、カカシがそうしたのだと分かるのにそう時間は掛からなかった。
「昨日、任務帰りにきれいな泉を見つけてさ…。にも見せたくて、今度連れてこうかと思ったんだけど…」
あんまり安全な場所じゃなかったから、とカカシは苦笑いをこぼした。
長期任務に赴いては、
しばらく会えなかったからお詫びだと言って花を持ってくる。
会えなかったからって別に…。
私達、付き合ってる訳じゃないのになぁ。
「その代わりっちゃ何だけど、泉の傍に咲いてたから…」
「……あ、ありがと」
受け取った花束には、色や大きさは華やかとは言えなくとも。
淡く、控えめに、…どちらかと言うと、質朴という言葉が似合うような。
そんな花が束ねてあった。
包装紙にそっと手を添えて、その花を見つめる。
「……………」
「……ん?何…?」
私は花から視線を上げてカカシの様子を伺おうと彼の顔を見た。
けれど直ぐに目を合わされてしまい、少々慌てて視線を逸らす。
最近何故だか目を合わせられない。
「どうかした……?」
「いや、…別に」
1人がけの椅子に逆さに座り直した私は背もたれに顎を乗せてまたその花を眺める。
しばらくの間私がそうしていたものだから、カカシも窓の外の景色に目をやっていたらしく、
ポケットに手を突っ込んだまま、まるで草原で深呼吸をしたかのように長く息を吐いていた。
「でもさ。…カカシ、変わったよね」
「………?」
私は花を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
彼はまだ意味が分からないでいるようだけれど。
私の中で、それは確信へと変わってゆく。
「きれいだって、思えたんでしょ…?この花が」
「…………」
カカシは私の言わんとするところを探るかのようにこちらをじっと見つめ。
私は何だか無性に嬉しくなって、自然にこぼれる笑みをそのまま彼に向けていた。
あれは、カカシがこの家に来るようになった頃―。
初めのきっかけは何だったか思い出せない。
けれど、何の取り柄もない一般人である私のどこに興味を持ったか知らないが家にやってくるようになったのだ。
家にやってくると言っても、彼はお茶を飲んだり軽く睡眠をとったり、ただじっと考え事をしていたりして。
さもここが自分の家であるかのように過ごしていた。
今考えれば多分、カカシにとって自分のことを構わない女の人が珍しかったのだと思う。
最近分かってきたことだか、結構彼は整った顔をしていて、それまで周りの女性が放っておかなかったのだろう。
それにマンネリを感じ始めた頃丁度彼が私を見つけた、といった具合。
元々細かいことは気にしない質の私はあまり構わなかったのだが、
当時のカカシの操行はあまり良いとは言えない状態であり、何年も前の彼ははっきり言って不躾なやつだった。
今のカカシとは正反対と言っても良いくらいに。
私が一番良く覚えていることで、こんなことがある。
それは初めて彼が花を持ってきてくれた日のことだ。
ある日、いつものように玄関の開く音がしてカカシが家に入ってきた。
また来たのかと思い振り返れば、思わず私は驚嘆してしまった。
そこには薔薇の花束を抱えたカカシが無言のままそれを差し出していたからだ。
「……どうしたの、…その花束…」
「やるよ」
「え、何で…そんな……」
「いーから、ほら。もらって」
カカシは私の手を取って半ば強引に渡してきた。
こちらはただ目を白黒させるばかりでお礼を言うことすら出来なかった。
「こんな高そうな花…もらえないよ……」
「事のついでとは言え、お前に買ってきたんだから。もらってくれなきゃ俺が困るんだけど」
人に贈り物をする時にその態度はないだろうと普通は思うかもしれないが、当時の彼はいつもこんな感じだった。
ただ少し驚いたことと言えば、この花を私に買ってきたと言ったことだ。
何年も一人暮らしをしてきた私には人から花束をもらうなんてことは長いことなかったし、
ましてや、状況はどうあれ男性からこんな薔薇を受け取る日が来ようとは夢にも思っていなかったから。
それを認識した時、やっとお礼を言うことを思い出した。
「……えと、…ありがとう」
「…ま、どっか飾っといてよ」
私に買ってきてくれたという割には、あまりにも素っ気ない態度。
別に彼に好意を抱いていたとかいうことは全くなかったので、どうということはなかったのだが。
こちらとしては、カカシに貢いでいるという感覚は全くなかったのだけれど、
結果的にそれまでずっと世話を焼くことになっていた私に、突然贈り物をしてきた彼の心境がよく分からなかった。
だからその時は、嬉しいと言うよりもどうしてだろうと疑問に思う気持ちの方が大きく、
考え込んだ上に黙り込んでしまった。
「……何、嬉しくないわけ…?」
耳に入った不機嫌そうな声に我に返り、顔を上げれば、
そこには向かいに座ったカカシがぶすっとした顔をして頬杖をついてこちらを見ていた。
「―プッ……」
昔のことを思い出して、思わず思い出し笑いをしてしまった。
「……ん?何笑ってんの」
「え?…いや別に、何でもない」
何でもないと言いつつ、まだ口元がゆるい私を怪訝そうな顔をしてカカシが見る。
あの時のカカシの顔と言ったらなかったのだ。
何年も経った今でも笑ってしまう。
「にやけた顔して何でもないはないでしょーよ…」
「……失礼ね、にやけてなんかないよ」
「どうかな…。で、何がおかしいの…?」
カカシは余程気になるらしく、顔を少し近付けて聞いてくる。
そんな彼を私はもっと離れてと言わんばかりに手でよけて、話し出した。
「…いやね?あれから花持ってきてくれるようになったんだよな、と……」
「あれから……?」
「そ。…あの日から」
「………あの日?」
カカシはポケットに手を突っ込んで、私の言うあの日とやらの記憶を探って考え込んだ。
しばらくすると彼は、''あぁ''と言って苦笑いをした。
「……あの頃のことはもう忘れて」
「どうしてよ…?」
「説明するまでもない。…ま、あの頃の俺は最低だったしね」
「え、何…じゃ当時自覚あったわけ……?」
「もう良いでしょーよ、そのことはぁ」
余程当時の自分を嫌っているらしい。
まぁそれだけ彼自身がまともになったということなのだろうけど。
らしくないカカシの言動に、私はまたも声を上げて笑ってしまった。
「ごめんごめん」
「…………ったく」
謝りつつ、その間にも笑いがまじる。
カカシは呆れた顔をして、そっぽを向いた。
考えてみれば、いつの間にか変わっていた。
私はカカシより年下だけれども。
昔は実年齢は彼より下でも、彼に対してやっていることは彼の面倒を見る役回りばかりだった。
けれどそれはある日を境にして変わっていった。
花を初めて持ってきてくれたあの日から、彼は私の前に姿を見せなくなった。
初めは気にしなかったが、半年経った頃、まさかと思い、慰霊碑まで駆けていったことがある。
けれどそこには彼の名前は刻まれておらず、私は安堵の溜息をこぼした。
力の抜けた体で空を見上げながら、生きていてくれればそれで良いと、そう思った。
その日から、また二・三年経ったある日。
カカシは再び私の家へとやって来た。
ささやかな花束をその手に持って、申し訳ないような自信のなさそうな顔をして。
それからの彼は以前とは違い、ずっと大人になっていた。
「あれからずっと、花持ってきてくれてるのよね…」
一度初めは、薔薇。
数年経った二度目には、素朴な花を。
その変化が、私にはとても嬉しかった。
「―ま!人でなしの俺をここまで持ってきてくれたのはのお陰だからね」
「………えー?」
気恥ずかしくて、何を言うか、という目で彼を見た。
いや、見ようとした。
見ようとしたが、目の前にカカシはいなかった。
「……―って、ちょっと!」
「んー?」
いつの間に移動したのか。
カカシは私の座っている後ろ、椅子の残ったスペースに腰を下ろしていた。
「ちょっと、どこ座ってんのよ…!」
「どこって…椅子だけど?」
椅子から降りようにも私は背もたれの方を前にして座っていたため、前後をふさがれ思うように動けない。
しかもちゃっかり腰のところに後ろからカカシに腕を回されてしまっては、どうにもしようがない。
「ホラ、暴れない…らしくないな。椅子壊れるぞ…?」
「らしくなくさせてんのは誰よ…!!」
「……え?俺」
「……………」
あまりの激情に言葉を失った。
大きなため息をついて、背もたれに腕を組んで寄りかかった。
「…もー、いい」
「はは、大人しくなった」
「……バカバカしくなったの!」
こんな感情の起伏の激しくなったのは、カカシと出会ってからだった。
以前の私は職場でもぶすっとしていて冴えないやつと言われていた。
私を変えてくれたのは、カカシだ。
「ねぇ、…。聞いてくれる?」
突然後ろからギュッと抱きしめられた。
こんなことをされたのは、数年来の付き合いでも初めてのことで。
身の置き所もなく、頷くことしか出来なかった。
「俺さ、しばらくお前んとこ来なかった時期あったじゃない…?」
「…………」
「ずっと考えてたんだよ、のこととか、それまでの自分のこととか。
あの日に花束渡したら、礼になるかと思ってた。
ほら、あの頃の俺ってさ…女なんて陳腐な薔薇の花束差し出せば、それで満足するもんだと思ってたし…。
正直言うとあの花だってホントは他の奴のところに持ってくはずだったのに、
あの時は俺の方が約束すっぽかされて、行き場のなくなったやつを持ってきたんだ。…―ごめん」
「……いや、そんなもんだろうと思ってた」
私は苦笑いまじりで言った。
カカシも同じような感じだ。
「とにかく俺は…お前に似合う花すら見つけることが出来ないバカだった…。
でも今は、誰よりものこと理解しているつもりだよ…?
もしの目から見て、そうじゃなかったとするなら、
俺はこれからも努力するし、いつかはそうありたいと思ってる。
あの時は気付けなかったけど、こんな俺の傍にずっといてくれたこそが一番大事なんだって」
「…どーしたのよ、急に……」
今までカカシがそんなことを考えていたなんて。
ただ調子外れな相槌を入れるのが精一杯。
「やっと気付けたからねぇ…だから、ま!これからも傍にいてもらいたいんだけど?」
「……はぁ、そりゃ…まぁ、います…けど…?」
何だか。
この口調を見る辺り、あの頃と変わっているんだかそうでないのか。
前言撤回したいような、したくないような。
そんな変な気分に駆られて。
ちょっと前までときめきかけてた心のやり場をどうすれば良いのか。
けれど今は。
そんなことはどうでも良くなって。
そんなことを気にする気にも到底なれなくて。
ただただ嬉しそうに笑ってるカカシの顔を見て、私も自然と笑っていた。
「…ねぇ、ちょっとこっち向いて?」
「……うん?な、………」
―――――――……
振り向き様に唇を奪われて。
何が何だか全く分からなかった。
私の目に漠然と映ったのは、マスクを外し優しく笑うカカシだった。
「―ちょっ!付き合ってもないのに、何してくれんのよ…ッ!!」
「………あのさぁ、…。今の俺の話、聞いてた…?」
呆れた顔してこちらを見るカカシに、私はこりもせずにまた怒鳴っていた。
一進一退。
きっとこれからもこんな感じで進んでいくんだろう。
特別なものなんていらない。
ただ、淡い色の花のように。
そっとこの広い世界にあなたと二人、佇んでいられたら、幸せだと思った。
一体カカシのもう少し若い頃はどんな感じだったんでしょうねぇ…。
今回はタラシだったという設定で書きましたが、本当のところが気になります。
初めは色気も素っ気もないヒロインで終始通すつもりだったんですが、
最後の方でちょっとだけ女性らしくなりましたね…(笑)
ちょっと長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さってありがとうございました!