彼女の所に行くのは、サムライとしては必要ない。
だが―――足を止めることは、できなかった。
落花流水 4
キュウゾウが来る回数が、減った気がする。
はふと思った。
彼と出会って3ヶ月。
相変わらずキュウゾウは家に来るが、ヒョーゴが現れてから、頻度が低くなったようなのだ。
(…怒られちゃったのかなぁ…)
キュウゾウはこの虹雅渓の差配・アヤマロの護衛なのだという(ヒョーゴに聞いた)。
マロを害するような度胸のある者がいるかはよくわからないが、護衛なら近くにいるべきだろう。
仕方ない―――そう思っただが、何かもの寂しい。
(次は、いつ来てくれるかな…)
「―――恋煩いなの?さん」
そうたずねられ、は慌てて首を振った。
「いえっ!すみません!ぼーっとしちゃって…ユキノさん、合ってましたか?」
「ええ、大丈夫。…ねぇ、それよりも、本当に違うのかい?」
癒しの里。
その中の蛍屋に、は紅を届けに来ていた。
昼の里は、夜とは真逆で落ち着いた雰囲気である。
蛍屋の女将・ユキノはまるで母親のような温かさがあって好きだ。
ただこちらの心を見通してしまっているのでは、と時々思う。
「違います。…多分」
「あら、多分?」
「だって恋煩いがどんなものか、知らないし。恋もしたことないです」
あっさり言った。
ユキノは少し苦笑して、自分の横を示した。
はおとなしく座った。
「それじゃあ、何を考えてたの?」
「…えっと…私、3ヶ月前におサムライさんと知り合いまして。その人のことを…」
「あらあら。珍しいね、さんがおサムライと話すなんて」
「そうですね。それで…」
は今までのことを簡潔に説明し、最近少々もの寂しいことまで言った。
「これって、何でしょうね?」
は首をかしげるか、ユキノからすればそれは立派な「恋」である。
ただ。
「さんの場合…『人恋しい』っていうのがあるかもしれないねぇ…」
「人恋しい?」
「今、1人暮らしでしょう?お兄さんみたいなものか、本物の恋か。わたしには判断できないよ」
「そうですか…。あ、いいんですよ?こんな話振っちゃってほんとすみませ」
「でもねぇ」
「 ? 」
「さんが恋をしてくれたら、嬉しいわ」
ユキノはを気に入っている。
そのが誰かを特別に「好き」になったのなら、嬉しい。
相手がサムライであることが唯一の難点だが…。
「…嬉しい、ですか?」
「ええ。でもこれは私の希望。自分の気持ちには自分で気付かなくちゃね」
キュウゾウは茶室の前に座っていた。
中ではアヤマロと誰か(名前は忘れた)が大事な商談をしているようで、ずいぶん長引いている。
周囲の気配を気にしつつ、けれどそんな様子はおくびにも出さずに床をながめていた。
『 好いて、いるのか? 』
不意に、先日のヒョーゴの言葉がよみがえる。
面白い娘だとは思う、確かに。
キュウゾウの予想をはるかに超えた言動。
羽根が生えているのかと思う位身軽な動きで働く姿。
見ていて飽きない娘だと、思う。
けれど、それ以上は、
ワカラナイ。
それ以上の感情を、キュウゾウは言葉に出来なかった。
―これは、何だ?
理解できず、煩わしく、こんなことで迷う位なら捨ててしまいたかった。
もともと、サムライには必要ない。
サムライであることとは何の関係もないのだから、サムライを望むキュウゾウは捨ててしまえばいいのだ。
なのに、捨てられない。
―これは、何だ?
キュウゾウはアヤマロが出てくるまで同じ問いをくり返していた。
ザアアアアァァ…ッ
「おや、雨…」
ユキノは窓の外を見やる。
いつの間にか空は暗い雲がおおい、大粒の雨が降ってくる。
こうしてユキノが見ている間にも、雨は激しさを増していった。
「どうした、ユキノ」
ちょうど通りかかった太鼓持ち―シチロージが呼びかけた。
「ああ、お前さん。何だか嫌な雨だと思ってね。…さんがさっき帰ったばっかりだし」
「あの小物屋のお嬢さんか?そりゃ困ったな、雨宿りをしてるかも知れねぇ。ひとつアタシが…」
「あ、それは駄目だよ」
「ん?」
「どこかでばったり出くわさないとは限らないじゃないか」
「誰と?」
「さんの『恋』のお相手」
勘違いされたら可哀想だ。
無事に帰ることを祈りつつ(相手のサムライが来てくれれば尚良し)、ユキノは窓閉めた。
土砂降り。
人通りのない道。
なのに、は歩いていた。
いつもの調子で、少し服が重いなと思いながら。
雨が容赦なくを打つのに、彼女は全く気にしていなかった。
ふと立ち止まって、空を見やる。
―キュウゾウは、時折空を見ていた。
(何が見えるんだろう)
彼は何を見ているのだろう。
は再び歩き出した。
雨はすっかりの体温を奪っている。
(風邪、ひいちゃうかな)
きっと熱も出すだろう。
高熱かも。
高熱って、よく生死の境をさまようと言うけれど。
―そうなったら、大変だなぁ。
は軽くそう思っただけだった。
見え隠れする違和感。
誰もそれに気付かない。
独りだから、気付かない。
そうやって壊れていった。
少女はいつも笑う。
―誰カ気付イテクレマセンカ?